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去人たちは1998年から開発されてきたデジタルノベルです。
現在、去人たちはそれ以上の何ものでもなくなりました。

慥かに、去人たちは1998年から開発されてきたデジタルノベルです。

 
 

製作者のブログ

  • イメージが神格化された、それ以降

    前のトピックの続きである。

    研究対象のイメージはアプリオリなのだとニコニコしながら納得することで、深海から水面に顔をだして何とか息継ぎが出来た。
    たぶん、エクストリームな…原理主義的な観点は放擲すると自覚しているはずだが、実際は意識のなかで後退しているだけということも簡単に予測できる。つまり表面化されないが、簡単に未来が予測できる“フラグ”となって沈潜したということもできる。

    せっかちな観客が、ストリッパーの服を一気に脱がせてしまうように結論を急ぐのは……
    あ、これどっかでみたことあるね。これって、あれのことだし。

    あたしや、あたしたちがイメージの先に見ていたものは何だったのだろう。
    イメージの先なんてものはない……それなら、逆流もあるだろう。

    損失と、究極的なイメージと、去人たちと・・・・・・
    言えないことは言わないまま、不明瞭なものは不明瞭なまま、ほとんど語りえない真実が、ただそこにあるだけというような…

  • いくつかのこと


    うまいものを食べるのは大変いいことだ。でも自分の感性を疑うならたまにはまずいものも食う必要がある。思ったほど自分の感性など曖昧なものなのだ。


    去人たちはプロフェッショナルな領域で生きていきたいのか?
    ええ、たぶん、おそらく。

    金銭的な? ビジネス的な?
    ええ、たぶん、おそらく。(でも、そんなことはないようなそんなもの)

    形式的な?
    形式は食べられない。

    物語的な?
    ええ、たぶん、おそらく。でももう今、ここで、必要なのかは自信がない。

    本当はプロフェッショナル性など必要ないのでは?
    ええ、たぶん、おそらく。

    なんで去人をつくるの?
    作らざるをえないだけ。鮪は泳ぎ続けないと死ぬだけ。びくんびくん。

    本当に必要なものは?
    14歳の寿命。

  • タイトルというほどのことはなにもない

    なんで、タイトルが一番最初にあるのだ。
    タイトルを決めてブログをかくなんて誰かに何かを伝えようとしているみたいではないか。

    あたしは、これが誰かに届くことを期待してない。
    ここにあるのは、ある一つの規則をもった矛盾なのだ。

    コミケでいろいろと失態を晒したが、まあいい。
    このことはおいおい、消え行く声の中で語っていきたい。
    テキストを推していたのだけれど、今回からあたしも執筆しているからして、すごくなにもいえませんでした。
    本当に、テキストを推していいのかなあ。

    フリーゲームからの脱却。
    去人たちという作品がニッチでありながら、一定の支持を得ていたのをあたしはとてもありがたく思っている。
    おそらく、到達すべき場所に到達したのだ。

    そしていま、自分が傲慢になっている気がする。
    おそらく傲慢のなかでももっともたちが悪い。こういう例示するとすればこんなかんじ。

    「神が死んだ? いいや、生き返らせて、もっと正しく何度も殺す必要がある」

    人には一種の「不全な全能感」を持っている。それを隠すのが生き様だ。
    あたしはその手の生き様について厳密に従ってきがする。
    病んでいる?
    もちろんだ、あたしは、中二以前からもっともひどい形で病んでいる。痛々しくて目を背けられ、後ろ指さされることも躊躇われるほどに。

    あたしは、あなた方に、何も伝えはしない。あなた方はあたしたちを無視し続けるべきなのだ。
    それでも、あたしはここにいるのだ。

  • コミックマーケット81 に参加

    お久しぶりです。kow@suhito14歳です。

    まず、ご報告がおそくなったことをお詫びいたします。
    「冬コミ参加」とか「サークル名が変わった」とか「フリーゲームが死んだ」とか「サイト移転」とかいろいろありますが。

    ■コミックマーケット81に参加

    日時:
    12月31日(土) 東地区 “フ” – 28b

    頒布内容:
    去人たち概念検証 ~ プロローグ  (Windows版のみ)
    (価格未定)

    再販予定:
    去人たち完全版
    (価格未定)

    去人たちオリジナルサウンド
    (¥1,200)

    ■サークル名について

    K2CからK2c eeにしました。深い意味があるはず。
    ついでにフリーゲームは終わりました。

    ■旧サイト閉鎖

    ひゃくまんひっとを目指してまじかるオープンした去人たちのサイトは、サークルの変更に伴い消滅いたします。
    ひゃくまんひっとに達することができず、忸怩たる思いではありますが、なんども閲覧していただきました去人たちユーザの皆様には大変感謝しております。

    ひゃくまんひっとの夢は当サイトが引き継ぐとかつがないとか・・・

    ■フリーゲームは?

    死にました。

    ■今後 について

    去人たち概念検証をリリースするために、活動していきます。
    主に、イベントでの販売やオンラインでの販売になる(かも?)と思います。

    ■ご意見について

    これまでのユーザの皆さまの失望コメントや叱咤激励コメントは、twitterにどうぞ。
     https://twitter.com/kyojintachi

    ■説明できないこと

    現時点ではいろいろと説明できないことがたくさんあるのが本当のところだ。説明できないこと批判する人もたくさんいるだろうけれど、あたしはあたし自身の抱える『説明しづらさ』について、直接的な回答が用意できていない状態なのです。強迫的にもてはやされるコミュニケーション能力だとか説明能力だとか、そういったものが足りていないのは事実だと思う。もう一歩踏み込むなら、防衛機制的に、と付け加えるべきなのかもしれない。あたしはあたしの説明しずらさの中に、その手の防衛機制が過剰に機能していることを予感している。
    むずかしく考えることはない、性根がまがっているから、『はい』か『いいえ』で答えられないのだろう。ドラクエの秀逸さはそのアンチテーゼにある。
    説明できないことを幾重にも補強するために、どんどんとケーススタディを並べていこう。
    世の中には頭の良い人たちがたくさんいて、超射程の論理を撃ちあい、一般人からしたら何が起こっているかも正確には把握できないような高度なやりとりが日常的にかわされている。 それがなんなのかあたしにはさっぱりわからない。着弾点はわかるかもしれないが、それがどんな弾道で発射されたものかなんてさっぱりわからない。想像力や、知識データベースをいかして、いくらでも追跡できるだろう。確かに、だが、そんな迂遠なことをいていると結論に辿り着く前に戦争は、それどころか世界が終わっている。

    だから――そう、思考を停止した誰もが歩むその道を、自戒の念をこめて進むのだ。恐怖に怯えながら乱暴に手の届く範囲の何ものかもわからないものをめちゃくちゃにしながら

    あたしが、超高性能のピンポイント爆撃できる惑星間弾道弾をもっていれば、きっとこんな不正確なモノたちを作る必要はなかったのだとおもっている。

    『ああ、なるほどね、これは関係性の問題なのね』
    『ああ、痛いとこ突かれたね!』(←ぜんぜん痛くない)

    たしかに『関係性の問題』で、本質的な気がする。だけど、いっこうにそんなことは気にならない。
    たぶん、これはアイデンティティの問題なのだ。
    セカイ系から 派生した独立運動?
    そんなものはどうかはまったくわからない。
    ただ、あたしの射程からはずれるものはすべて射程になる可能性があるから、面白い。

    なんということでしょう! 説明するだけ無駄というものだった!

  • 実験のはじまりと

    こんばんは、kow@asuhito14歳です。
    お久しぶりです。

    文字を書くこと、考えることすべてがお留守になっていたので、今ここで熱意とともに想起されていることをなに一つ上手に記述できる自信がないのです。あたしはいつもこの手の口下手を恥ずかしいと思っていますが、実のところこれも一つのテンプレート防衛というある種の思考停止なのだろうとも思っています。
    まあまあ、うまく説明できないことをなんとか説明しようとして破綻するというウィットに富んだメタ遊びはやめて、あたしの肩にのしかかる幽霊のようなもの――つまり実験のこと―― について、いくつかお祓いがてらに口走っておきたい。

    実験という方法論を選んだのは、イメージというやっかいなもののせいであった。
    イメージを共有するというのは、言語上は可能だけれども、実際にはできない。エクストリームな観点でいえば脳みその交換でもしないとできないと思っていた。まあ、今でもそんなふうに思っているのだけれど。

    <イメージは損失なしにどこにも到達しない>

    イメージをより損失なしに到達させるには、方法と到達距離をサンプリングし、その結果をもとに方法について分析をしようと思ったわけである。
    実験であるからして、多くのユーザにプレイしてもらうことを望み、また実験であるからして有償作品であることを拒否した。

    我々のイメージの強度について、パッシブに問いかける装置の一部としてユーザを組み込んでみる

    という選択がそこにはあったのだ。
    そして去人たちはその動機を与えた実験的作品だったわけだ。

    そして前にも何度かいったが、実験はうまくいかなかった。
    実験しようという試みは間違っていなかったが、実験自体の方法論に問題があった。

    我々ののイメージの強度は放置され、クスリにも毒にもならぬ実績が前面に押し出され、ただただ、空疎化したあたしの目標は失敗を無視しつつ、反射的に踏み出そうとしている。

    <それでもいいのである>

    そうだろう、そうとでも言わなければ、何も書けないし、何も言えないし、羞恥心で生きていることも困難だろう。